僕が5年程前からDIGってるBritcoreについて少々お話を。今HIP HOPというジャンルはどんどん細分化されてきてます。オールド、ミドル、ニュースクール、ウエッサイ、アブストラクト、JAZZY、アンダーグラウンド、etc...上げてくとキリがありませんが。そんな色々ある中でもアングラ過ぎるHIP HOPがBritcore。まだまだ日本では知名度はないと思います。でも、少し前からマイナーミドルてのが確立されてきて、日本ではもしかしたらその部類に属してるかもしれません。

これから紹介する文はドイツのアングラレーベルDEF COREのHP(もうない)に載ってたBritcoreについての説明の日本語訳です。とあるHPからのコピペですが(笑)
当時はDEF CORE見てた時は日本語訳ありませんでしたけどね。


では、どうぞ。




britcoreboyz.blogspot.com














この世で最も過激なヒップホップ− ハンブルグハードコアの真実 
hh80-the hardcore philosophy-

ドイツ国内におけるヒップホップの発展は日本とほぼ同じように進んできたと言って間違いないだろう。
アメリカンヒップホップは当初から大量に流入しており、85年を過ぎるころからはすっかり若者の最先端のスタイルとして定着するようになっていた。ブレイクダンス、グラフィティ、ラップといった定番のムーブメントが盛んに行われるようになったのもこのころからだ。
ここで「さすがドイツ」と思わせるところはこの「ヒップホップ3個条」が現在にいたるまで、むしろ本家よりも忠実に守られつづけていることである。グラフィティアーティストは「スプレイヤー」(ドイツ独自の呼称)と呼ばれ、ラップアーティストにとって彼らに自分のバンド名や似顔絵を描かれることは誇りである。自らのレコードのジャケットに「スプレイヤー」によって描かれた実物のグラフィティの写真を起用する例もあるハンブルグハードコアシーンの雄、レディキルのアルバムなどがその良い例だ。

そして「ブレーカー」と呼ばれるブレイクダンスの旗手たち。
もちろんアメリカの型をそっくり真似ているわけだが、彼らのダンスはアメリカのように軽快な、または男らしさを強調するような動きよりも、「アップロック(立ったり座ったりしながら相手を攻撃したり受身になったりするふりを繰り返す)」に代表される四角ばった格闘ダンスや、アクロバティックなものが好まれているようだ。

これほどヒップホップの精神を愛しているドイツの若者たちだが、その心中には説明しがたい葛藤が渦巻いている。
アメリカにあこがれ、同じようなサウンドを志してみるものの、百パーセントアメリカの文化を受け入れることには抵抗があるのである。さらに、ここに複雑な「リリック」の問題が絡んでくる。
ドイツの若者文化においては歌詞にドイツ語を使うことは当時あまり好まれていなかったらしく、歌詞を英語でつづる行為がヒップホップにおいてもごく自然なこととして存在した。ロックやその他トレンド音楽の歌詞は当然英語で書くもの、というこの風潮を生み出した背景には、ドイツ語にはネガティブなイメージが色濃いため(彼らは第2次世界大戦のことを忘れていない)罪悪感から使いたくない、という考え方もあったのだ。
ラテン語圏外である我々日本人からしてみると想像しがたい状況ではあるが、アメリカからきた音楽を模倣するにあたって、彼らドイツ人はほとんど誰でも英語を使えるので、それをあえてドイツ語にする理由も無いと考えたのだろう。結果、アメリカンテイストのトラックにドイツ語なまりの、しかしあくまでも英語のラップをのせることになる。すると、そこに滑稽な矛盾が生じる。ドイツにはアメリカンヒップホップに歌われるような「ゲットー・サング」は存在しないにもかかわらず、アフリカン・アメリカンたちが産み出した クール なスラング英語を用いて自分達のリアリティを語ろうとするからだ。
こうして生まれたちぐはぐな「似非」ヒップホップはとても文化的価値のある音作りとは言えず、ムーブメントとして根付くには至らなかった。



 このような煮え切らない状況に劇的な変化が訪れるのは80年代の終わりになってからである。
アメリカのトラックをそっくり真似てリリックだけ潔くドイツ語を用いた「ドイチャーラップ」の誕生だ。
スムーズで都会的なトラックに、スクエアなドイツ語の響き。ロックの名曲などを配した、わかりやすいトラック。そして素直につづられる彼らのリアリティがドイツの多くの若者の心をたちまちとりこにした。
ディー・ファンタスティッシュ・フィーア(英語で言うところのザ・ファンタスティック・フォー。ドイツ国内でも略してファンタ・フォーと呼ばれている)というグループはこのドイチャーラップでの初めて成功例で、彼らのアルバムは大ヒットを記録し、ランDMCの前座を務めるほどの人気バンドとして君臨した。このあとは続々とドイツ語ラップがリリースされるようになり、ヒップホップは「売れ線ジャンル」としての地位をとうとう確立するに至ったのだ。
 今でもドイツのヒットチャートはヒップホップ(ドイチャーラップ)が主流を占めている。すべてはファンタ・フォーや熱狂的なファンを持つ「女性ラッパー」コーラE&マリウスNO1,アドバンスト・ケミストリーをはじめとするドイチャーラップイノベーター達のおかげだ。
ドイツのB−BOYに好きな音楽をたずねると意気揚揚とドイチャーラップアーティストの名前を挙げてくる。
一般的人気を勝ち得つつ、アンダーグラウンドにおいても絶大なリスペクトを受けつづけるドイチャーラップは、今現在とても成熟し、シーンにはDフレイム、カース、フェリスMCなど、個性的で魅力に溢れるアーティストが数多く存在している。
しかしながら日本への紹介が皆無に等しいのはとても残念なことだ。本文を読んで少しでも興味を持った方はぜひ何らかの方法でこれらの音楽をきいてみて欲しい。その硬質で滑らかな耳触りにきっと病み付きになること請け合いだ。
さて、一方イギリスのではこのころと時を同じくして「ハードコア・ヒップホップ」が誕生し始めていた。
やはりアメリカに対する複雑な思いがイギリスのアンダーグラウンドヒップホップを「単なるアメリカの模倣」で終わらないものへと進化させていた。高度なスクラッチテクニック、高速ラップが特徴的なこうしたアンダーグラウンドシーンを代表するアーティストとしてはトータル・フィアスコ、シルバー・ブレット、ハイジャック、ブレイド、ハードノイズなどが挙げられる。
彼らは日本の一部シーンにおいても「UKアンダーグラウンド」として人気があるのでご存知の方も多いだろう。



 この音に飛びついたのがハンブルグの若者達である。
ハンブルグは、ベルリンに次ぐドイツ第2の都市である。人口170万人を抱えるこの市は古くから港を中心にさかえ、アルスター湖周辺の緑と数キロにも及ぶ工業地区が対比的な、観光都市としてもよく知られた美しい都市だ。しかしその一方、港周辺で働くトルコ系住民達の深刻な就職難や右翼政党の台頭、そして「シュムッデルヴェッター」と呼ばれるハンブルグ特有のべたつく不快な天候など、市民の不満は少なくはない。
そして、時にはマイナス25度にもいたる厳しい寒さが冬のハンブルグを襲うのである。

 さて、90年のはじめ、ハンブルグのベルゲドルフ地区(ハンブルグ市の東南にあたる)にあるジュズ・ヘックカーテンという音楽スタジオに数名のB−BOY達が集まり始めた。アメリカンヒップホップもUKアンダーグラウンドもわけ隔てなくむさぼり聴いている20歳そこそこの若者達である。
はじめの頃彼らはアメリカンヒップホップ的なトラックに半端なドイツ語・英語混合のリリックをのせていたが、やがてとことんUKハードコアに心酔していくことになる。そして、ついにはその過激さは本家のUKハードコアを凌駕してしまう。
(なぜこれほど過激なサウンドになったのか、とたずねたら、「天気が悪いからだろう。そのせいで俺達はクレイジーなのだ。または、俺達がクレイジーだから天気が悪いのか。(笑)」と答えが返ってきた。)ここから本格的なシーンが誕生した。

これこそが「ブリットコア」の実質的な起源である。
 ブリットコアという名はあまりにもUKヒップホップの影響そのままの命名なのでこの説明は少々まどろっこしくならざるを得ない。
定義づけるならば、「UKにおいてハードコア・ヒップホップが生まれ、ドイツに輸入されてからハンブルグの若者達によって異形の変化を遂げたもの」それが彼ら呼ぶところの「ブリットコア」である。
 すなわち「ブリットコア」と聞いて、「ああ、ブレイドなんかのことだね」と答えることは間違いではないのだが、ブレイドに「ブリットコアアーティスト」という肩書きを与えたのはあくまでもハンブルグの若者たちだということを忘れてはならない。イギリスのアーティストが自らブリットコアを名乗ったわけではないのである。

 このような複雑な生い立ちであるにもかかわらず、「ブリットコア」サウンドは非常に理解しやすい。ハードコア、という言葉から創造できるあらゆる要素を思い浮かべていただきたい。過激かつポリティカルなリリック、速いビート、これでもかというほどの激しいスクラッチ、絶叫に近いリフレイン、韻を踏むことなど 二の次と言わんばかりのラップ。とにかく、「言いたいこと」が先だ。曲の構成も「音楽的」なものとは程遠いといってよい。
 また、共通しているのはホラー映画のサウンドトラックの台詞や効果音がインタールード的に使われていることだ。
これは「ベルゲドルフ・ハードコア」においてほとんどすべてのトラック作りを担当しているDJサイコパスの個人的趣味によるところも大きいだろう。
しかし、それ以外にもホラー映画の音源の使用はドイツ産の音楽において多く見られるので、ある種国民性的なものもあるかもしれない。
 さらに特徴的なことは、(先に述べたようにドイツ国内ではドイチャーラップが絶大な人気を博しているにもかかわらず)英語のリリックにこだわりを見せていることだ。
我々外国人からするといっそ自国の言葉でラップしたほうが良いのでは、という余計な詮索をしてしまいそうだが、彼らにとってはドイツ語でリリックを書くことは「国内の浮ついた流れに迎合している」とでも感じられたのであろう。

ドイチャーラップはドイツのマスメディアに媚を売っているのだとでも言わんばかりの攻撃的な言行も見て取れる。
とにかく、イギリスのハードコアラップをお手本にしている以上英語でリリックを書かなければ嘘、ということもあるだろうし、先に述べたように本来は英語でリリックを書くほうがドイツの若者にとってむしろ自然なものだからという理由もあるだろう。
そして、あえて簡単にドイツ語を使ってしまわないところに「ハードコア」としての美学を見出しているとも思える。
 彼らがリリックにどのような理由でこだわりを見せたにしろ、この英語への執着はブリットコアサウンドをより聴覚的に面白く演出する結果となっている。イギリスのハードコアサウンドにおいて「早口」であることは重要な要素だが、これがドイツ語特有の「R(ときおり日本語のハまたはガのように聞こえる)」や「CH(ハ行とカ行の中間のような詰まった音)」、ウムラウト(ドイツ語特有の母音。
オとエの中間、イとエの中間のような鈍い響きがある)を効かせたマシンガンラップともなると、トラックの激しさに輪をかけてとんでもなく攻撃的なサウンドとなって飛び出してくるのだ。

 ところで、先ほど「ベルゲドルフ・ハードコア」という呼び方を紹介したが、これはすでに述べたベルゲドルフの若者達が築いたムーブメントの名称である。
彼らは誇りを持ってこれを「HH−80(ダブルエイチエイティ)」と呼ぶ。
90年初頭に生まれたこのHH−80は、95年以降一度は下火になったものの10年の時を経た今でも継続しており、多くのスプレイヤー達がHH−80の名のもとに活躍しているのを見ることが出来る。
 HHとは「自由同盟都市ハンブルグ」すなわち、ハンザ都市ハンブルグの略であるらしい。
ハンザ同盟と聞くと世界史の授業を思い出す読者もいるだろうが、いつまでも生まれた土地の歴史を誇りに思いつづけるところがまたゲルマン魂らしいところではある。
(というステレオタイプ的な見方にはご批判もあるかもしれないが、どうか好意的に受け取っていただきたい。
)  では80とは?これは昔の郵便システムにおいてベルゲドルフは「2100ハンブルグ80」と表記されていたことから、古きよきベルゲドルフを称えてこのように呼ぶのだそうだ。
つまりHH−80は「ハンザ都市ハンブルグ市の誇り、ベルゲドルフ町」ということである。
 さて、このHH−80のシーンの創始者であり、中心でありつづけた最重要グループ、メンタル・ディスオーダについて紹介しよう。
MCトラッシュタワー、MCフローズンブレイン、DJサイコパスという3名のミュージシャンによって結成されたこのグループはハンブルグにおけるヒップホップシーンの形成にただならぬ貢献をしてきた。
 彼らがはじめたハードコアサウンドは地元の若者達に強烈なインパクトを与え、多くのフォロワーを生み出した。
否、正確にはフォロワーというよりほぼ同時進行であったのだが、メンタル・ディスオーダのサウンドがあまりにも個性的で強力なため、他のアーティスト達が「メンタル・ディスオーダ・スタイル」という呼び方をされてきた、といったほうが正しいかもしれない。
 まずはその中でもトラック面においてのキーマンであるDJサイコパスについて少し述べたいと思う。
DJサイコパスは彼の「コモドアー・アミーガ500コンピュータ」を駆使し、本能の叫びのようなロウかつハードコアなトラックをたくさん産み出した。
彼はメンタル・ディスオーダのみにとどまらず、ほとんどのHH−80アーティストの作品にトラックを提供している。DJサイコパスサウンド=HH−80といっても過言ではないくらいだ。

メンタル・ディスオーダ以外のDJサイコパスの優れた仕事は以下に紹介するアーティストの作品で耳にすることができる。
デジタル・カラーズ(DJサイコパスとMCヒディアス、ヒディアスの双子の弟であるMCエスカレートのユニット)、そしてデジタル・カラーズの後にほぼ同じメンバーで構成されたヒディアス・ニューカム、また強力な個性をもつMCルシファーを中心としたイモータル・スーサイド、その別プロジェクトであるマインド・コアなどである。

特にヒディアス・ニューカムは魅力溢れるMCヒディアスとサイコパスの掛け合いが絶妙で、誰が聴いても楽しめる作品を2枚リリースしている。
ファーストはハードコア色が強く荒削りでHH−80入門としては最適と思える仕上がりであるし、セカンドはより完成度が高くダンサブルな音作りとなっており、本人達が楽しんでレコーディングしている様子が目に浮かぶようなアルバムである。
 

さて、いよいよ本家のメンタル・ディスオーダである。
すでに述べた狂気の天才DJサイコパスのトラックに、まったくDJとの協調性に欠ける2名の超個性、MCフローズン・ブレイン、そしてMCトラッシュ・タワーがラップを勝手にがなりたてる−彼らのサウンドを表現するのに適当な表現としてはこんなところだろうか。アドレナリン剥き出しの超カオティック・サウンド。
いかに文章で説明しようにも2次元的にはこれが限界である。
とにかく耳にしていただくほか無い。そして、これを「ヒップホップ」として捉えられる感性のある方は自身の音楽的キャパシティーをそうとう誇りに思っていただいて良いと思う。

ちなみに、彼ら全員190cm以上であったというから、3人そろってのライブは相当迫力があったに違いない。
 彼らのリリックの基本はファーストアルバムのからの代表曲「オウン・フィロソフィー」に集約されている。「自分の哲学にそむくな、むやみに人に倣うな」と歌われるこの曲は当時彼らの地元で問題となっていたストリートギャングの横行を批判するものである。

 90年初期当時、ドイツには各都市のアンダーグラウンドヒップホップシーン同士のコミュニケーションがほとんどなく、オーガナイズされていなかったため、いわば各都市で勝手にそれぞれ盛り上がっていたという雰囲気であろう。このように各シーン同士のかかわりが希薄であったことも手伝って、メンタルディスオーダおよび周辺のサウンドは際立って個性的なものに進化していったのだ。
そのことはハンブルグにおいても同様で、メンタル・ディスオーダが立ち上がるまではやはりまともなシーンの盛り上がりというものは存在していなかった。アメリカの人気アーティストのコンサートが行われるあても無い都市で、資本のかかった「ヒップホップ」のコンサートといえば出場料金目当ての素人DJコンテストが開催されていたくらいだった。
(しかし、このDJコンテストは後のDMCワールドDJチャンピオンシップス1990年スペイン大会において1位となるDJデヴィッド・ファッシャーを輩出したというからなかなかの見ものであったかも知れない。)  このある意味ヒップホップ不毛の地において勇ましくもシーン形成に立ち上がったメンタル・ディスオーダの面々は、インディペンデントなコンサートをいくつも開催した。彼らいうところのヒップホップジャムである。

ハンブルグ市内のアーティストのみならず、スイスなどの周辺国、また本家イギリスからもアーティストを呼び寄せて数千人のオーディエンスを集めるほどまでに成長させたのである。
 その勢いはUKのハイジャックのフロントマン、カマンチ・スライをして「ハンブルグはヒップホップの中心都市だ!」と言わしめたほどであった。
 当時のハンブルグにはベルゲドルフとは別の地区でもほぼ同様のハードコアヒップホップの動きがあった。「ハンブルグ・アルトナ」と呼ばれるこのシーンは冒頭で紹介したレディキルなどを中心としたムーブメントである。
 レディキルは、ドイツ北部の都市のアンダーグラウンド・ヒップホップアーティストを収録した歴史的なコンピレーションアルバム「キル・ザ・ネイション・ウィズ・ア・グルーブ」においてフィーチャリングされている伝説的なブリットコアグループである。当初シーン同士のかかわりがなかったというのが信じられないほど、2つのサウンドは似通っている。英語のリリックであること、同様の激しいトラックを特徴としていることだ。
そして、いつからともなく2つのシーンは融合し始め、本格的にハンブルグのヒップホップ・ムーブメントを確立するに至ったのだ。
 ハンブルグよりも南東に位置するブレーメンでもノー・リモース(DJスタイルウォーズ、MCクラック)などを中心としたハードコアシーンが存在した。
クロスオーヴァー系ヒップホップユニットであるサプライズ(SAPRIZE。このバンドのアナログ盤は日本において激レア盤として名高い)などもブレーメン出身であることを考えると、都市自体はかなり音楽的に充実していたことがうかがわれる。
サプライズのようなクロスオーヴァーアーティストは一見ブリットコアと無関係に見えるが、93年ごろにはメンタルディスオーダとともにライブステージを踏んでいることから結びつきは意外に深かったものと思われる。


以上、現在、日本で耳の早いDJ達、ミクスチャーキッズによって日ごと評価がたかまっているジャーマンクロスオーヴァーシーン+ミクスチャー、ハードコアラップシーンの一部の現在にいたるまでの発展を、ハードコアラップを中心に紹介した。この文章はいまだ推敲途中にあるため読みづらい点があることをご理解いただきたい。今後も補足、追加などを行っていきたいと思う。



と、レアなフライヤーと共にお送りしました。どーでしょうか?これから暇があれば色々紹介して行こうと思います。現在もアングラに続くこのシーン要チェケラですよ!!LOVE Britcore!!




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